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千葉地方裁判所 昭和38年(ワ)413号 判決 1968年6月27日

原告 小川義人 外二名

被告 千葉県

代理人 塚本明光 外二名

主文

被告は、

原告小川義人に対し金四〇万円およびうち金三〇万円に対する昭和三八年四月一四日から、うち金一〇万円に対する同年五月一七日からいずれも右完済に至るまで年五分の割合による金員を、

原告瀬角一哉に対し金一五万円およびこれに対する同年四月一四日から右完済に至るまで前同率の割合による金員を、

原告若林靖宜に対し金三〇万円およびこれに対する右同日から右完済に至るまで前同率の割合による金員を、

それぞれ支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はすべて被告の負担とする。

この判決は、原告小川義人において金一〇万円、原告瀬角一哉において五万円、原告若林靖宜において金一〇万円の担保をそれぞれ供するときは、右担保を供与した原告においてその勝訴部分にかぎり、仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

一、請求原因(一)、(二)の事実は当事者間に争いがなく、(証拠省略)によれば、昭和三八年四月一四日当時の千葉中央警察署の留置場が別紙第二図面記載のとおりであり、当日原告らを含めて約三七名の者が留置されていたこと、同署では通常看守者二名を配置していたが、留置人が多数となるときは、これを補助させるためにさらに一名の警察官を臨時に看守の任に就かせていたこと、そして当時は伊藤好雄、長谷川定治の両巡査のほか森田瑞夫巡査が看守者として配置され、同日の午前一〇時から翌一五日の午前八時三〇分までの間看守の任務に就いていたことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二、昭和三八年四月八日水町豊ほか二名が、酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律違反容疑で逮捕され、同日午後一一時四〇分頃千葉中央警察署留置場新館第一房に留置されたところ、翌九日午前七時三〇分頃から八時頃までの間、留置場房内で留置中の古川己一と掃除のことで口論し、同日午後零時五〇分頃、水町が偽名を使用したことで留置中の吉武定男から殴打されたことがあることは被告において認めるところであり、いずれも成立に争いのない(証拠省略)によれば昭和三八年四月一四日頃千葉中央警察署留置場において、あらたに留置場に入つてきた留置人に対し、さきに留置されていた留置人が暴行を加えることが相当に行われており、看守者はこのことを知りながら、あるいは黙認し、あるいは留置人に暴行を指示して行わせ、さらにはみずからこれをなすということが行われていたことを認めることができ、右認定に反する(証拠省略)は、前掲各証拠との対照上たやすく信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠がない。

三、原告小川義人の請求についての判断

(一)  原告小川義人が昭和三八年四月一四日(日曜日)午後二時頃、千葉市登戸二丁目京成電鉄新千葉駅附近において、公職選挙法違反の疑いで逮捕され、同日午後三時過ぎ頃、千葉中央警察署留置場旧館第四房に収監されたことは当事者間に争いがない。

(二)  同日午後六時過ぎ頃同房内において、同原告がさきに同房に収監されていた高橋利男、浜田清五郎、山田尚武の三名から暴行を受けたことは当事者間に争いがなく、右事実と前掲(証拠省略)によれば、右暴行は担当看守者であつた伊藤好雄巡査が右三名の者に対し「おいそろそろしんみりさせてやれ」「それじやデンキをやれ」「今度はヒコウキをやれ」「次はジユウドウだ」などと申し向けて同人らを指図して、同原告に、同留置場内においてデンキと称していた姿勢(両手を水平に上げ、両足のかかとをつけて爪先きで立ち、両股を開き「く」の字型に曲げて、上体を起こし腰を中腰に落す姿勢をとつていると体が震えてくる。)、「ヒコウキ」あるいは「ブンマワシ」と称していた動作(右手を左脇の下から上に上げてその右手指で左の耳たぶを掴み、左手を下に伸ばしてその人差指を畳の合せ目に突込み、その姿勢で足を小刻みに動かしてぐるぐる廻る動作。)および「ジユウドウ」と称していた行動(一方的に相手方から投げとばされる行動)をそれぞれ七分ないし八分の間強要し、同原告の右の姿勢あるいは動作が崩れると右三名の者が同原告を足蹴にし、あるいは殴打したものであり、同原告はその間なんらの抵抗をすることもできなかつたことを認めることができ、右の認定に反する前掲(証拠省略)は前掲各証拠との対照上たやすく信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠がない。

(三)  前記暴行陵虐により、同原告が嘔吐、頭痛、筋肉痛、意識混濁等の障害および加療約一週間を要する前額部打撲症、両膝部打撲症の傷害を受けたことは当事者間に争いがなく、前掲(証拠省略)によれば、同原告は、以上のような特殊な状況のもとにおいて、前認定のような姿勢、動作等を強要され、暴力を振われ、前記傷害および障害を被つたことにより相当な精神的打撃を受けたことを認めることができ、右の認定を左右するに足りる証拠がない。

そして右暴行は留置場の担当看守巡査伊藤好雄の指図によつて行われたものであるから、右精神的損害は右巡査がその職務を行うについて同原告に加えたものというべく、被告は同原告に対し国家賠償法第一条によりその損害を賠償する義務を負うものというべきところ、上来認定の事実に本件に現われた一切の事情を斟酌すると、同原告が受けた右精神的苦痛に対する慰藉料は金一五万円と認めるを相当とする。なお、同原告は傷害および障害による精神的苦痛に対する慰藉料として五万円、その他の精神的打撃による苦痛に対する慰藉料として金一〇万円の損害を被つたとして請求しており、理論的には両請求は別個のものであるとみられなくもないが、本件のように複数の精神的苦痛が同一の加害行為によつて発生し、その間に密接な関係があるものについて、同時にその損害賠償を請求している場合に、各別にその慰藉料を算定することは実情にそぐわない結果となることを保し難く、却つて精神的苦痛を包括し、一体として判断することによつて被害者の受けた精神的苦痛を正当に評価することができるものというべきである。そして、かく取り扱うことにより、訴訟上なんら不都合を生ずるおそれはない。

よつて、同原告のこれらの点についての請求は理由があるものということができる。

(四)  千葉県警察本部鶴岡貢刑事部長が昭和三八年五月一六日午後一時過ぎ頃、原告小川に対する暴行事件につき一部の記者に発表し、翌五月一七日の東京新聞、日本経済新聞、同月一八日のサンケイ新聞にそれぞれ右事件に関する記事が掲載されたこと、ニツポン放送で五月一六日午後九時三〇分から三〇分間「牢名主は生きている」との題目で前記水町豊に対する暴行事件を放送することとなり、これにつきサンケイ新聞、読売新聞、東京新聞、朝日新聞、毎日新聞、千葉日報の五月一六日朝刊に「牢名主は生きている」との見出しで、右水町事件の内容が掲載されていたこと、伊藤好雄巡査ら担当看守者が房内暴行事件を上司に報告していなかつたこと、同年四月一六日に原告小川の上司である千葉銀行本店金井為替課長から千葉中央警察署杉本捜査二課長に房内暴行の事実が告げられたこと、同月一八日日本社会党千葉県連合会書記長市川福平と同原告、翌一九日参議院議員柳岡秋夫、同日千葉地区労働組合評議員高柳某、同月二一日参議院議員加瀬完からそれぞれ房内暴行事件について警察当局に申告があつたこと、伊藤巡査が同月一日看守者に任ぜられながら同月二二日解任されたこと、同月二五日杉本捜査二課長が同原告から房内暴行事件について事情を聴取し、供述調書を作成したことはいずれも当事者間に争いがなく、右の事実といずれも成立に争いがない(証拠省略)によれば、昭和三八年五月一七日読売新聞朝刊には、前記水町事件が中心に掲載され、これとともに原告小川に対する暴行事件が掲載されているが、これには留置人間の暴行事件である旨の鶴岡刑事部長の談話も掲載され、そのような記事となつていること、同日日本経済新聞には、水町事件と原告小川に対する暴行事件が掲載され、これはたんに古参留置人が同原告らに対して暴行を加えた旨の記事となつていること、同日東京タイムズには右両事件が掲載され、これは看守者がかかる事件を黙認していた旨の記事となつており、副島千葉中央警察署長談として原告小川に対する犯人が不明として発表されていること、同日東京新聞朝刊には右両事件が掲載されたが、原告小川に対する暴行事件についてはたんに古参留置人が同原告に暴行を加えた旨の報道記事となつており、鶴岡刑事部長談として同事件は調査中である旨掲載されていること、以上の原告小川に関する記事は主として同月一六日鶴岡刑事部長から取材したものであつて、同人がかかる発表をなしたのは、前記水町事件について記者会見をした際、二、三の記者から他にも房内暴行事件があるのではないかとの質問を受けたためであること、同県警察本部としては、前記の如く、外部からの指摘により、その以前に原告小川に対する暴行事件等が千葉中央警察署において発生していることを知り、その関係者らを、同県警察本部監察官が中心となつて調査し、その概要につき報告を受けていたこと、右調査において、原告小川は終始担当看守者の指揮により暴行を受けたものである旨供述し、担当看守者がこれを否定していたため、同県警察本部としては疑いを持ちながらも右担当看守者の供述を採用し、担当看守者が右暴行事件に関与していないものであるとの結論を出していたこと、そうではあつても留置場内での暴行事件であり、また事件当時担当看守者からなんらの報告も受けておらず、かかる不祥事がないものと思つていたところ、外部からかかる不祥事を指摘されてはじめてこれを知つたということもあつて、できるならば新聞等で報道されたくないものと考えていたが、すでに日本社会党千葉県議会議員らがこれにつき副島千葉中央警察署長に対して釈明を求めており、さらに前記のように新聞記者からの質問があつて発表せざるを得なかつたこと、そのため記者からの質問に対しても担当看守者が関与しているとの点には触れないばかりでなく、むしろこれを否定する趣旨の発表をし、その結果前記のような記事となつたものであること、これよりさき、副島千葉中央警察署長は同年四月二二日伊藤巡査を看守者の任から解いているが、通常留置場の看守者は一年ないし一年六か月勤務し、司法警察事務を習得したうえ捜査係に進むべく予定されているのに、同月一日その任に就いたばかりの同巡査を解任するという異例の処置をとつたのは、当時原告小川らから同巡査が暴行事件に関与しているとの申告を受け、この点についての調査が未だ十分に行われていなかつたが、房内で暴行事件が発生していたことは殆んど確実であり、当然看守者として上司に報告すべきであるのにこれが報告していないこと等を考慮してのことであること、同年五月一八日サンケイ新聞には原告小川の写真入りで同原告に対する暴行事件が掲載され、同事件は担当看守者の指図によるものである旨の記事が掲載さたれが、これは同社の記者がその後同原告から直接取材したものであること、さらに同月二五日同新聞にも同様の記事が掲載されているが、それには鶴岡刑事部長談として担当看守者が暴行事件に関与していない旨の発言が掲載されていること、原告小川は右サンケイ新聞のほかはいずれも担当看守者が暴行事件に関与していない旨の記事を掲載しているのを見て不満に思い、その頃朝日新聞等に投書して担当看守者が暴行事件に関与し、これを指揮していた旨訴えようとしたが、いずれも掲載されず、結局日本社会党の機関紙である社会新報のみが同月二六日同原告の投書を掲載し、同原告の写真入りで担当看守者が指示して暴行が行われた旨の記事を掲載したこと、そのため原告小川は、千葉銀行青年部長、千葉県労働者組合連合会青年代表者会議議長等として活躍している者として、留置場内において留置人から暴行を受けたにすぎないとする鶴岡刑事部長の発表、これに基づく前記新聞報道に対して強い不満を持ち、その名誉が毀損されたものと考え、かつその旨知人からも指摘され、伊藤巡査を告訴し、本訴を提起し、これに対し千葉県警察本部は同原告らに対して和解を求め、右告訴および本訴の取下げの申し入れをしたが、結局同原告らがこれを承諾せず、また伊藤巡査は昭和四一年一〇月四日特別公務員暴行陵虐致傷罪として懲役一年、執行猶予三年の宣告を受けたことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

人は他人から暴行を受けることを不名誉とし、それを第三者に知られることを恥とするから、そのことが公にされることにより、被害者の名誉が毀損されることになることは原告のいうとおりである。したがつて同原告は前記の如く新聞に報道されたことによつて、留置場内で留置者から暴行陵虐を受けたことを一般世人に知られ、その名誉を傷けられたことは明らかである。そして右暴行は、被告の管理下にある千葉中央警察署の留置場内で、看守巡査伊藤好雄の指図によつて行われたものであり、右報道は右暴行事件に関するものであるから、この点において被告は同原告に対し国家賠償法第一条の賠償責任があるというべきである。また、鶴岡刑事部長が留置場の看守者は関係していない旨の発表をしたことにより、各新聞が単なる留置人の暴行として発表し、そのため看守者が関与しているとの同原告の訴えの真実性が疑われる結果となつて同原告の名誉が傷つけられたことが認められるところ、当時この事件に関する警察当局の調査は相当進んでおり、同刑事部長は伊藤巡査がこれに関係しているのではないかとの疑を持ちながら、右の如き発表をしたのであるから、同部長には過失があるといわざるをえない。そして警察当局の新聞記者に対する犯罪事件に関する発表は、警察権の行使の性質を有すると解するを相当とするから、被告は同部長の発表により原告の被つた損害を賠償する責を負うものというべきである。

そして、以上の事実に本件の現われた一切の事情を斟酌すると、右により同原告の被つた損害は金一〇万円であると認めるを相当とし、これを被告において賠償することにより、同原告が右により被つた損害は填補されるものと認める。そして右事実によれば、右により同原告が損害を被つたのは昭和三八年五月一七日であるというべきである。

なお、原告代理人は、刑事部長の虚偽の発表により、同原告が看守者に訴えて暴行を抑圧せしめ、正当防禦として加害者に反抗するなど、自己の人権を擁護する態度に出ることなく、一方的に留置人から暴行を加えられ、これを受忍しただけである趣旨の新聞報道をされたと主張するが、新聞記事(証拠省略)は、いずれも同原告が拘禁下古参の留置人より理不尽な暴行を加えられたという趣旨のものであつて、同原告に対する同情と、暗に警察当局の留置場管理の怠慢および看守者の綱紀の弛緩を批判する筆致をもつて書かれていることが認められ、右記事が原告主張のような印象を読者に与えたとは考えられないので、右主張は採用できない。

次に、同原告は被告に対し謝罪広告を求めているが、報道が叙上の如きものであることと、伊藤好雄が高橋利男ら直接同原告に暴行を加えた留置人と共に同年中に特別公務員暴行陵虐致傷罪で起訴され、昭和四一年一〇月四日有罪の判決の言渡を受け(証拠省略)、同原告に対する暴行は伊藤看守巡査の指図によるものであることが公にされたことを考え合せれば、警察当局の発表およびそれに基づく報道によつて同原告の被つた損害は、新聞紙上に謝罪広告をすることによつて償わせるのを相当とする種類、程度のものではないというべきである。

そうすれば、この点についての同原告の請求は金一〇万円の賠償を求める限度において理由があり、その余の請求は失当というべきである。

(五)  原告小川義人本人尋問の結果によれば、原告小川は本訴の提起追行を原告ら代理人に委任し、その費用、報酬等金一五万円を支払う旨約定していることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。そして、右金一五万円は、当裁判所に顕著である日本弁護士連合会報酬等基準規程(昭和二四年日本弁護士連合会会規七号)および以上の諸事実とを対照すると相当な額であると認めることができる。さらに、以上の本件に現れた資料を総合すると、右金一五万円は、原告小川が本件不法行為により被つた損害であると認めるを相当とし、被告においてこれを賠償すべき義務があるものというべきである。

なお、被告は、本訴において被告が不当に抗争しているものではなく、当然の権利行使として応訴したのであつて、それが公序良俗等に違反するものではないし、本訴提起後ではあるが、被告が和解を求めたにもかかわらず同原告においてこれを拒否して訴訟を遂行していることなどから、被告において右の賠償義務を負担しないものである旨主張するが、そのいずれの点からするも右の結論を左右することはできない。

よつて、この点についての同原告の請求は理由があるものということができる。

四、原告瀬角一哉の請求についての判断(省略)

五、原告若林靖宜の請求についての判断(省略)

六、結論

以上の次第であるから、被告は、原告小川義人に対し前記損害金合計四〇万円および金三〇万円に対する前記伊藤好雄巡査らが同原告に暴行陵虐をなした昭和三八年四月一四日から、うち金一〇万円に対する前記同原告が暴行陵虐を受けた旨の新聞報道がなされた同年五月一七日からいずれも右完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を、原告瀬角一哉に対し前記損害金合計金一五万円およびこれに対する同原告が同房者から暴行を受けた同年四月一四日から右完済に至るまで右同率の割合による遅延損害金を、原告若林一哉に対し前記損害金合計金三〇万円およびこれに対する同原告が右伊藤巡査らから暴行を受けた同年四月一四日から右完済に至るまで右同率の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うべき義務があるものというべきであるから、原告らの本訴要求は右の限度において理由があるので正当として認容し、原告らのその余の請求は理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を、仮執行の宣言につき、同法第一九六条第一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中隆 渡辺昭 片岡安夫)

謝罪広告(省略)

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